欲にまみれて人肉をむさぼる「食人鬼」 小泉八雲と上田秋成が記した物語の「決定的な違い」とは?
日本史あやしい話
小泉八雲が著した、世にもおぞましい「食人鬼」の物語。実は江戸時代の読本作者・上田秋成が著した『雨月物語』の中の「青頭巾」が元ネタであった。いずれも僧侶が鬼と化して人肉を喰らうというお話であるが、なぜ鬼と化したのかに関しては、理由が大きく異なる。美少年への愛欲に取り憑かれて魔境へと彷徨ってしまった秋成版食人鬼から垣間見える狂気の方に、グッと心惹かれてしまうのである。いったい、どのようなお話だったのか?両物語を読み比べてみることにしたい。
■小泉八雲が『怪談』で取り上げた食人鬼とは?
小泉八雲といえば、いうまでもなく、連続テレビ小説『ばけばけ』の主人公・松野トキの二番目の夫のモデルとなった御仁である。史実としても、妻・小泉セツの語りを元に、怪談話を次々と発表。日本の文化を世界に発信し続けた、偉大なる作家であった。
その彼が著した短編集『怪談』の中に、「食人鬼」という世にも恐ろしい鬼の物語が記されているのをご存知だろうか? 食人鬼とは文字通り人を食う鬼のことであるが、元を正せば、死者を弔うべき僧侶だったというところに、まず驚かされてしまうのだ。いったい、どんなお話だったのかから見ていくことにしよう。
舞台となったのは美濃国のとある山中の村で、登場するのは、鎌倉時代末から室町時代初期に活躍した禅僧・夢窓国師(疎石)であった。この御仁、史実としても、伊勢国生まれでありながらも一族の抗争に巻き込まれて各地を転々としたこともあるようだから、美濃国を遊業していたとしても不思議ではない。
ともあれ、国師が美濃国を旅していた時のこととして物語が始まる。山中で道に迷って彷徨ううちに、丘の上に一軒の粗末な小屋を見つけた。そこに住んでいたのは、一人の年老いた僧侶であった。一晩泊めて欲しいと頼み込むも、そっけなく断られた国師、仕方なくさらに谷間を降りたところにある小さな集落まで歩いて、ようやく迎え入れられることができたのである。
不思議なことに、そこは10軒ばかりの小さな村であるにもかかわらず、なぜか広間に40〜50人もの村人たちが集まっていた。それは気になったものの、案内されるまま離れへと向かい、食事も提供され、布団まで用意されるという至れり尽くせりのもてなしに、ホッとしたものであった。
ところが、夜も更けて床の中でウトウトし始めた時のことである。部屋の襖がす〜っと開いたかと思うや、宿の若主人が深々と頭を下げながら、奇妙な話を語り始めたのである。
「先ほど、私の父が他界しました。広間にいた人たちは、亡き父に別れを告げるために集まっていたものでした」と事情を説明した後、村の掟について語り始めたのだ。
「実は、私の村では、人が亡くなった日の夜は、誰も村に残ってはいけないという決まりがあるのです」と。ただし、「もしもお坊さまが鬼や悪霊などは恐れないとのことでありましたら、父の遺体とともに、このままお留まりください」とも。そこで、これも何かの縁、死者を弔おうと、亡き人の前でただ一人お経を唱え続けたのである。
それからしばらくしてからのこと、何か大きくて得体のしれないものが入ってくるのに気が付いたものの、金縛りにあったかのように、動くことができなかった。その得体のしれないものは、遺体を持ち上げるや頭からムシャムシャと食べ始めたから驚いた。骨から身にまとった経帷子まで、全て食い尽くしてしまうという有様であった。その後供物にまで手を付けたところで、そのまま音もなく立ち去ってしまったのだとか。
翌朝、帰ってきた村人たちに一部始終を語るも、誰も驚く様子はなかった。一夜のうちに遺体と供物がなくなるのは、これまで何度もあったからである。これを不思議に思った国師、もしやと、丘の上に住む老僧の話をするや、村人たちは顔を見合わせて驚いた。そんな僧侶は見たこともなかったからである。
そこで、国師がもう一度、丘の上の小屋を尋ねてみると、件の老僧が申し訳なさそうに首を垂れて言うのであった。「実は、昨夜遺体と供物を食べたのは、何を隠そう、この私なのです」と。「もともと、わたくしめはこの地の僧として葬儀を取り行っておりましたが、それはただ生きるための手立て。それで得られる食べ物や着る物のことしか考えておりませんでした。その罰当たりな行いのために、死後、人の肉を喰らう食人鬼に生まれ変わってしまったのです」と。そう嘆いて、国師に成仏させてくれるよう施餓鬼供養を願い出たのである。これに応えて国師が経を唱え始めるや、老いた僧侶の姿がふっと消え、草むらの中に苔むした墓と五輪塔があるだけであった…と話を締めくくるのであった。
これが、小泉八雲が著した「食人鬼」の全容である。八雲がなぜ夢想国師を登場させたのかは定かではないが、禅僧として名高い国師にあやかって、その徳の偉大さを強調させようとの狙いあってのことだったのかもしれない。
■上田秋成版食人鬼が陥った餓鬼道とは?
実はこのお話には、元ネタがあったのをご存知だろうか?それが、江戸時代に著された上田秋成『雨月物語』の中に記された「青頭巾」という一編であった。そこに登場するのは、改庵禅師という室町時代に実在した禅僧で、美濃国から下野国へと向かう最中の出来事として話を進めている。前述の八雲が美濃国を舞台に選んだのは、こういう経緯があったからかもしれない。ただし、これ以降の経緯は、かなり異なる。
秋成版食人鬼では、禅師が一夜の宿としたのは、僧侶が住む山寺の方であった。しかもこの僧侶、禅師が寝ている隙に、彼を殺して喰ってしまおうとしたのである。ただし、食人鬼と化した男には禅師の姿が見えず怒り狂うばかりだったとも。挙句、疲れ果てて倒れてしまったことにしている。翌朝、目覚めてみると、前夜には見えなかったはずの禅師が目の前にいてビックリ。「飢えているなら、我が身の肉を差し出しても良い」とまで言われて我にかえったものか、飢餓道に堕ちた自身の浅ましい姿に気が付いて、禅師に救いを求めたのである。
そこで禅師が迷える僧侶の頭の上に青頭巾を乗せ、「江月照松風吹 永夜清宵何所為」(後述)の公案を授けて立ち去ったと続けるのだ。それから1年、再び山寺を訪ねるや、そこで目にしたのが、荒れ果てた山寺の中で、ひたすら件の公案を口ずさむ僧侶の姿であった。
これを見た禅師、杖をもって男の頭を叩くや、たちまちにして肉体は消え去り、人骨と青頭巾だけが残ったとして話の幕を閉じるのである。僧侶の妄執が消え去った後、禅師がその山寺を再興。曹洞宗本山として大いに栄えさせたというのは史実である。それが、今も栃木市に残る大中寺だとか。ここには、「開かずの雪隠」や「枕返しの間」など、大中寺七不思議と言われる奇妙な逸話が伝えられているところでもあるから、一層、興味が掻き立てられてしまうのだ。

『雨月物語 (改造文庫)』「青頭巾」より/国立国会図書館蔵
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